メイン 門真市 奈良時代最後の第49代 光仁(こうにん)天皇 | 投稿するにはまずユーザ登録を |
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rsbru | 投稿日時: 2008-6-12 22:07 |
常連 登録日: 2004-10-29 居住地: 投稿: 96 |
奈良時代最後の第49代 光仁(こうにん)天皇 第49代 光仁(こうにん)天皇 63歳で即位
幼名・白壁皇子(しらかべのおうじ) 和銅(わどう)2年(709年)平城京で誕生 天応(てんおう)1年(781年)73歳で没 父は 天智(てんち)天皇の第7皇子の志貴皇子(しきおうじ) 母は 紀橡姫(きのとちひめ) 皇后 聖武(しょうむ)天皇の皇女の井上内親王(いがみないしん のおう) 側妃 高野新笠(たかのにいがさ) 白壁皇子(しらかべのおうじ)は天智(てんち)天皇の孫であつても身分が低かったのですが、 聖武(しょうむ)天皇の皇女、井上内親王(いがみないしんのおう)と結婚して中納言(ちゅうなごん)となり、 恵美押勝乱(えびおしょうのらん)の鎮圧に功績を挙げたので称徳(しょうとく)天皇の信任を受けて大納言したのですが。 孝謙(こうてん)天皇、後の称徳(しょうとく)天皇の次の皇位の座を狙って、 天智天皇の孫や曾孫は次々ろ暗殺されていたので。 自分の身を護る為に酒と女で明け暮れの日々を過ごして凡庸(ぼんよう)を装っていたのです。 神護景雲(しんごけいうん)4年(770年)称徳(しょうとく)天皇が亡くなったのですが独身の天皇には後継ぎが無く、 また、天武(てんむ)天皇の最後の子孫の。 白壁皇子と井上内親王との間に生まれた他戸皇子(たどおうじ) を後の皇位に就ける為の繋ぎに。 左大臣の藤原永手、右大臣の吉備真備と参議等が協議して62歳の白壁王を光仁天皇として即位させたのです。 そうして、井上内親王を皇后に、他戸皇子を皇太子にとなったのですが、 翌年、井上内親王は天皇の姉、難波内親王を呪ったとして、 皇后の座を廃しされまた、他戸皇子も皇太子の座を廃しされ幽閉され殺されたのです。 そうして天皇と高野新笠とに間に生まれた山部親王を皇太子にしたのです全て藤原一族の陰謀だとされています。 |
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» 奈良時代最後の第49代 光仁(こうにん)天皇 | rsbru | 2008-6-12 22:07 |
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