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rsbru | 投稿日時: 2007-9-11 11:37 |
常連 登録日: 2004-10-29 居住地: 投稿: 96 |
弥生時代にはこのような事が? 第11代 垂仁(すいにん)天皇
纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや) 奈良県桜井市穴師に都を興したのです 垂仁99歳年 139歳で没? 菅原伏見東陵(すがわらふしみのみささぎ) {奈良市天辻} 天皇は娘の倭姫命(やまとひめのみこと)に先祖の天照大神(あまてらすおおみかみ)の霊(れい)を伊勢国(いせのくに)の五十鈴川(いすずがわ)のほとりに祀ることを命じたのです。 天皇は皇后である狭穂姫(さほひめ)の兄の狭穂彦(さほひこ)と 皇子の誉津別命(ほむつわけのみこと)の問題で常に争っていたのです。 皇后の狭穂姫(さほひめ)はある日、 兄の狭穂彦(さほひこ)に天皇を殺すように命(めい)じられて、 狭穂姫(さほひめ)優しい兄の云う事を聞いて愛する天皇を殺そうか。 それとも天皇に全て正直に話そうかと、 毎日悩んで涙を流していたのです。 ある日、天皇は狭穂姫(さほひめ)膝枕(はざまくら)に頭をのせて寝息をたててすやすや寝ているので、 狭穂姫(さほひめ)は隠し持っていた短剣(たんけん)で天皇も胸を突こうしたのですが。 涙が姫の頬(ほほ)をつたって天皇の顔にぽとりと落ちたので天皇は目を覚ましたのです。 姫は今まで経緯(いきさつ)を天皇に話して、 身ごもった身体で兄の砦(とりで)駆け込んだのです。 天皇は兵を率いて狭穂彦(さほひこ)の砦を攻め込み砦に火を放ち 狭穂彦(さほひこ)と狭穂姫は砦の中で焼け死んだのです。 この頃は、天皇の家族が亡くなれとその家族に仕(つか)えていた 家来(けらい)とその家族は天皇野の亡骸(なきがら)と一諸に生き埋めにされていたのです。 その悲しそうなうめき声が何日も何日も続いていたのです、 野見宿禰(のみのすくね)は余りにも惨(むご)い光景に耐えられず。 皇后の狭穂姫(さほひめ)が亡くなった時に、 野見宿禰(のみのすくね)は天皇に人間を生き埋めにする代わりに 木や土で作った動物を埋めたはと進言(お願い)したのです。 天皇も提案に大変よろこんでその後は、 天皇やその家族が死んだ際は土偶(どぐう)が埋められるようになったのです。 |
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