メイン 門真市 倭国(やまとのくに)の女王 卑弥呼(ひみこ) | 投稿するにはまずユーザ登録を |
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rsbru | 投稿日時: 2007-9-22 23:42 |
常連 登録日: 2004-10-29 居住地: 投稿: 96 |
倭国(やまとのくに)の女王 卑弥呼(ひみこ) 一世紀180年、弥生(やよい)時代は日本の国を中国では倭国(わのくに)とよばれていたのです、
弥生時代に邪馬台国(やまたいこく)と云う部落(ぶらく)があったのですが。 現在でも邪馬台国(やまたいこく)は奈良県だと云う歴史学者と 九州だと云う歴史学者にわかれていまして、 確かなことは解からないそうですが存在(そんざい)していたのは事実です。 邪馬台国(やまたいこく)の部落に卑弥呼(ひみこ)という名の女の子が住んでいたのです、 卑弥呼(ひみこ)の云った予言(よげん)はよくあたるので、 村人から神の子供として扱われていたのです。 この時代でも小さな部落どうしが戦をしては自分たち部落を大きくしょうとしていたのです、 卑弥呼(ひみこ)は小さな村を幾つも集めて邪馬台国(やまたいこく)を中心をした連合国の女王となって。 宮殿に多くの召使(めしつかい)と弟だけが住み、 外部からの連絡は全て弟がしていたのです。 このころ中国では魏王(ぎおぅ)が朝鮮半島に勢力をのばしていたので、 卑弥呼(ひみこ)は魏王(ぎおぅ)に使者をおくり邪馬台国(やまたいこく)も同盟国(どいめいこく)にしてもらおうと。 239年、弟の難升米(なしめ)に貢物(みつぎもの)持たせて魏王(ぎお)のもとへ使者として送ったのです。 このころ中国は、魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)等がそれぞれの国を支配していたのです。 卑弥呼(ひみこ)は魏(ぎ)と同盟を結んだのです、 そうして魏王(ぎおぅ)は卑弥呼(ひみこ)に親魏倭王(しぎわおぅ)として金印(きんいん)と銅鏡(どうきょう)百枚を送ったのです。 ある日、邪馬台国(やまたいこく)に卑弥呼(ひみこ)に反発する狗奴国(ぐなこく)王が攻めてきたので。 邪馬台国(やまたいこく)の同盟軍(どうめいぐん)反撃にでたのですが。 相手が強すぎて苦戦の連続なので卑弥呼(ひみこ)魏王(ぎぅ)に使者を送り救援を頼んだのです。 暫くして、魏王(ぎおぅ)の役人が国書を持って狗奴国(ぎなこく)の王に、 ただちに兵を引き戦いを止めるように命じたのです。 後に卑弥呼(ひみこ)が亡くなり姪(めい)壱与(いよ)が13歳で 女王になったのです。 江戸時代の終わり頃、 九州の志賀島の農民、甚兵衛(じんべぇ)さんが、 自分の田んぼから、漢倭奴国王(かんのわのなのこくおう)の金印を発見したのです。 当時は中国を漢国(かんのくに)と呼んでいたと教わりました。 |
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» 倭国(やまとのくに)の女王 卑弥呼(ひみこ) | rsbru | 2007-9-22 23:42 |
Re: 倭国(やまとのくに)の女王 卑弥呼(ひみこ) | kawati | 2010-10-30 20:52 |
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