メイン 門真市 菅原道真(すがわらみちざね) | 投稿するにはまずユーザ登録を |
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rsbru | 投稿日時: 2005-1-30 15:57 |
常連 登録日: 2004-10-29 居住地: 投稿: 96 |
菅原道真(すがわらみちざね) 菅原道真(すがわらみちざね)
承和12年(845年6月25日生まれ、 幼名は阿呼または阿古(あこ) 父は菅原是善(これよし) 先祖は天照大神(あまてらすおおみかみ)の御子でり。 そうして土師氏(はじし)から野見宿禰(のみのすくね) と続いています。 野見宿禰は第11代 垂仁(すいじん)天皇の御前で、 倭で1番の腕力のある当麻蹶速(たいまけはや)と 自分が出雲から連れてきた男と相撲の試合をさせましたら。 当麻蹶速を投げ殺したのですそれで、 野見宿禰は天皇に仕え、また相撲神社に祀れました。 祖父の清公(きよきみ)父の是善(これよし)そうして道真(みちざね)が33歳で文章博士に任命されたのです。 887年に第59代 宇多(うだ)天皇は道真の才能を認めて、 政治行うように勧めたのです。 卑弥呼(ひみこ)の時代の二世紀ごろから続いていた、 遣唐使(けんとうし)を廃止するように道真が天皇に奏上して、 天皇に聞き入れて貰ったのです。 897年醍醐(だいご)天皇が即位して2年後に、 道真は右大臣(うだいじん)藤原時平が左大臣(さだいじん)に 就任したのです。 道真は長女の衍子(えんし)を天皇の妃にして、 次の娘を宇多天皇第3皇子の斉世親王(ときよしんのう)の妃にしたのです。 天皇から道真が多く恩寵(おんちょう)を受けていたので、 それを妬んだ藤原一族は、 宇多上皇(じょうこう)は高野山、竹生島に出かけた留守中に、 道真追放の計画をして、 時平は天皇に、道真は謀反(むほん)を興そうとしていると、 嘘の話を告げたので天皇は怒り。 道真の九州の大宰府に左遷が決まり、 直ぐに宇多法皇(うだほうおう)に救いを求めましたが、 どうにもにらなかったのです。 栄華(えいが)の絶頂から悲嘆のドン底へ藤原時平に突き落とされて 903年、道真が大宰府さびしく死んだのです。 道真が死んでから京の都では怪事件が起きたのです、 909年、時平が急死。 その後も、醍醐(だいご)天皇の皇子も次々と亡くなり、 人々は道真の祟(たた)りだとの噂(うわさ)が広がりだして、 930年には、御所の清涼殿(せいりょうでん)に落雷し、 それがもとで醍醐天皇が亡くなったのです。 道真の霊を慰める為に北野天満宮を建て道真を祀ったのです。 |
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» 菅原道真(すがわらみちざね) | rsbru | 2005-1-30 15:57 |
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