メイン 門真市 長岡京に都を遷した桓武(かんむ)天皇 | 投稿するにはまずユーザ登録を |
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rsbru | 投稿日時: 2005-1-9 14:56 |
常連 登録日: 2004-10-29 居住地: 投稿: 96 |
長岡京に都を遷した桓武(かんむ)天皇 奈良時代後期、女性の称徳(しょうとく)天皇が亡くなると、
天智(てんち)天皇の孫である。 白壁王(しらかべおう)62歳が藤原一族の力で、即位して第49代 光仁(こうにん)天皇となったのです。 皇后は聖武(しょうむ)天皇の娘、井上内親王(いのうえないしんのおう)ですが、 えん厭魅(えんみ)の罪で皇后の位(くらい)を降ろされ、また他戸親王(おさべしんのう)も皇太子の位から降ろされのです。 第50代 桓武(かんむ)天皇 幼名 山部親王(やまのべのしんのう) 父は 白壁王(しらかべのおう) 後の 光仁(こうにん)天皇 母は 高野新笠(たかのにいがさ) 山部親王は781年父の死後に45歳で即位して天皇となったのです。 天皇は奈良平城京から京に都を遷し、48歳の時に長岡京に都を遷したのです、 長岡京で館を作っている時、785年に天皇の相談役であった、 藤原種継(ふじわらのたねつぐ)は暗殺され、 後に犯人全員が捕まったが、 黒幕は大伴家持(おおとものやかもち)であったのです。 皇太子である弟の早良親王(さわらしんのう)も加わっていたとして 捕らわれ、 早良親王は無実を主張したが聞き入れられず、 淡路島に流罪される途中に亡くなりました。 797年 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を、 征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命して、 朝廷に逆らう陸奥国(むつのくに)東北の豪族、蝦夷(えみし)の 拠点の胆沢(いさわ)を攻撃させたのです。 10年後長岡京を平安京に遷して京都の基礎を造り、 約400年間、平安時代と云ったそうです。 日本人物事典から引用しました。 |
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