メイン 門真市 足利尊氏(あしかがたかうじ) | 投稿するにはまずユーザ登録を |
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rsbru | 投稿日時: 2005-3-1 21:04 |
常連 登録日: 2004-10-29 居住地: 投稿: 96 |
足利尊氏(あしかがたかうじ) 源頼朝(みなもとのよりとも)の妻、
北条政子が鎌倉幕府を築き子孫が長年150年続けた幕府です。 足利尊氏の先祖は第56代 清和(せいわ)天皇で源義家(みなもとのよしいえ)の5代目の孫になりますが、 北条氏(ほうじようし)が実権を握っていて、祖父が下野(しもつけ)現栃木県で守護(しゅご)でしたが、 常に源氏の名門でありながら北条氏に仕えているのに関して屈辱を感じて切腹したのです。 尊氏(たかうじ)は15歳の時に北条一門の赤橋守時の妹と結婚したのです、 そうして27歳の時に、 北条高時に奈良の笠置山(かさぎやま)に陣を構えていた後醍醐(ごだいご)天皇を討つように命じられたのです。 その年の9月に後醍醐天皇を捕らえて隠岐(おき)現島根県に流したのですが、楠木正成(くすのくまさしげ)と護良親王(もりよししんのう)には逃げられたのです。 その後、幕府(北条氏)に不満を持つ武士達が各地で決起して、 後醍醐天皇を救い出し。 尊氏は天皇の見方となって1333年5月京の都、 六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻めおとしたのです。 その頃、同じ源氏の子孫、新田義貞に鎌倉は攻め落としたのです、 150年続いた鎌倉幕府が滅びて、 後醍醐天皇は政治をおこなったのですが、 尊氏は征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)にしてもらえなかったのと、 公家(くげ)に恩賞を多く与え、武家の恩賞を認めなかったので、 足利尊氏が護良親王を捕らえまた、 また1335年7月、北条時行が攻めてきたのでその軍を向かえ討ったのですが。 天皇に見方した新田義貞と尊氏は箱根で戦い、 義貞を撃ち破り、その勢いで京の都へと攻め込んだのです。 そうして摂津湊川(兵庫県)で楠木正成を討ちやぶり、 京の都に攻め込んだのです。 後醍醐天皇は奈良の吉野に逃げて3年後52歳で亡くなったのです、 1338年尊氏は征夷大将軍となり。 1352年弟の直義(ただよし)を毒殺しますが、 1358年尊氏は病でこの世を去りました。 |
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