メイン 門真市 豊臣秀吉 | 投稿するにはまずユーザ登録を |
スレッド表示 | 新しいものから | 前のトピック | 次のトピック | 下へ |
投稿者 | スレッド |
---|---|
rsbru | 投稿日時: 2005-4-8 21:08 |
常連 登録日: 2004-10-29 居住地: 投稿: 96 |
豊臣秀吉 豊臣秀吉
幼名は日吉丸(ひよしまる) 父は、尾張の国、愛知郡中村(名古屋市)の百姓(ひゃくしょう)で織田信秀の足軽で木下弥右衛門(きのしたやえもん) 母は、愛知郡曽根村の百姓(きゃくしょう)の娘、なかで、 後の天瑞院(てんずいいん) 父の木下弥衛門が戦場で傷を受けて故郷に帰り、 畑仕事をしていたのですが。 日吉丸が7歳の時に父が亡くなったのです、 後に母は、日吉丸と姉を連れて織田秀忠の足軽家来と再婚したのですが。 義理の父とはおりあいが悪く、 死んだ父がのこしてくれた一貫文(いっかんもん)の銭(ぜに)を持って 侍(さむらい)になってやる気持ちで家出したのですが。 持ちがねを使い果たして。 針を売りながら東え向って旅を続けていましたが、 思うように仕官もできず、昼間から道端で寝ているときに。 通りかがった今川家の家来、 松下嘉兵衛(かへえ)の家来として使えていましたが、 働きすぎて殿には見込まれていましたが、 他の家来からはねたまれていたので。 殿の松下嘉兵衛は家来のとの気持ちを悟り、 日吉丸にもっと優れた殿に仕えるようにさとして旅に出したのです。 うして尾張に戻った日吉丸は、 野武士の蜂須賀小六の家来となるが、 後に織田信長の草履(ぞうり)持ちして信長に仕えて、 蜂須賀小六も信長の家来にさせたのです。 その後の日吉丸(木下藤吉郎)は皆様ご存知の通りです。 |
スレッド表示 | 新しいものから | 前のトピック | 次のトピック | |
投稿するにはまずユーザ登録を | |