メイン 門真市 戦国時代の大泥棒 石川五右衛門(ごうぇもん) | 投稿するにはまずユーザ登録を |
スレッド表示 | 新しいものから | 前のトピック | 次のトピック | 下へ |
投稿者 | スレッド |
---|---|
rsbru | 投稿日時: 2006-9-4 20:27 |
常連 登録日: 2004-10-29 居住地: 投稿: 96 |
戦国時代の大泥棒 石川五右衛門(ごうぇもん) 石川五右衛門(ごうぇいもん)は河内国石川村(大阪府柏原市石川)で生まれ。
五右衛門は若い頃から伊賀忍者の修行を積み、 安土桃山(あずちももやま)時代の。 豊臣秀吉(とよとみひでよし)が天下人(てんかびと)となった頃なのですが。 荒れ果てた京の都の貧しい人々を救う為に、 貴族(きぞく)屋敷や武家(ぶけ)屋敷(お金持ち)専門の大泥棒となって。 餓えに苦しんでいる人々を救ってきたのですが、 当時、鼻息の荒い豊臣秀吉の寝室に忍び込み金銀財宝を盗み取り、秀吉の命(いのち)も盗るつもりでしたが。 天下の大泥棒の五右衛門も失敗して、 捕らわれの身となりまた、家族や家来も幕府の役人に捕らわれて。 文禄(ぶんろく)3年【1594年】京の三条河原で、 豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命令で処刑されたのですが。 そうして同じ場所で、 石川五右衛門と幼い息子が釜茹(かまゆで)刑に処せられたのです。 五右衛門は茹釜(ゆでがま)の熱さから子供を護る為に頭の上まで差し伸ばしていたのですが。 自分の足が焼けるのに耐えかねて、 子供の体を踏み台にしたと伝えられています。 そうして親子二人は茹蛸(ゆでだこ)のような最後を遂げたのです。 それ以後、全国的に五右衛門風呂は昭和の中ごろまで、 使用されていたご家庭が多かった教えられました。 でも現在では五右衛門風呂を使っている家庭は存在するのでしょうか。 |
スレッド表示 | 新しいものから | 前のトピック | 次のトピック | |
投稿するにはまずユーザ登録を | |