メイン 門真市 天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫 磐余彦命(いわれびこのみこと)第1代天皇に即位する | 投稿するにはまずユーザ登録を |
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rsbru | 投稿日時: 2007-7-28 14:09 |
常連 登録日: 2004-10-29 居住地: 投稿: 96 |
天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫 磐余彦命(いわれびこのみこと)第1代天皇に即位する 神武(じんむ)天皇
幼名・磐余彦(いわれびこ) 神日本磐余彦命(かむやまといわれびこのみこと) 父は 微子波瀲武鸕鸂草葺不合命彦(なぎさたけうがやふきあえず のみこと) 若き頃の名 山幸彦(やまさちひこ) 産みの母は 豊玉昆売(とよたまひめ) 育ての母は 妹の玉依姫(たまよりひめ) 皇后は 媛蹈鞸五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと) 磐余彦(いわれびこ)は九州の日向 高千穂の峰で、 第4皇子として誕生したのですが、 3人の兄たちを注しをいて18歳で皇太子に就き。 45歳になった時に3人の兄たちと多くの兵隊(へいたい)を従(した)がって日向の海辺を出発して瀬戸内海を東へ進み、 長い歳月をかけてやっと難波国(なにわのくに)にたどり着き。 そうして磐余彦(いわれびこ)の一行は東へ(倭やまと)と向かって進軍して行ったもですが。 生駒山(いこまやま)の麓(ふもと)の孔舍衛郷(くさかのさと)を進軍中、 尾根(おね)と尾根(おね)との間で待ち伏せしていた。 倭(やまと)の豪族、 長髄彦(ながすねひこ)の攻撃で雨のように飛んでくる矢(や)が長男、五瀬命(いっせのみこと)の脚に当たり。 その傷が原因で五瀬命(いっせのみこと)は戦死し、 また、兵士の怪我人も多くなり。 磐余彦(いわれびこ)は一時退却したのです、 そうして今度は。 紀国(きのくに)和歌山県新宮市佐野 付近から倭(やまと)の吉野をめだして磐余彦(いわれびこ)の一行は山中を進行中。 何処からともなく流れてきた悪魔の邪気を吸い込んで全員は意識を失い倒れている処へ。 熊野の高倉下命(たかくらげのみこと)の一行が通り、 その様子を見た命(みこと)は神剣(しんけん)で邪気を祓(はら)い。 そうして高倉下命(たかくらげのみこと)は神の使いである八咫鴉(やたがらす)に倭(やまと)までの道案内をさせたのです。 倭(やまと)の菟田(うだ)付近まで来たときに、 またもや、長隋彦(ながすねひこ)兵の待ち伏せ攻撃を受けて。 苦るしんでいる磐余彦(いわれびこ)の弓頭(ゆみがしら)に何処からともなく飛んできた一羽の大きな金の鳥が止まり、 大きく羽ばたくと。 長髄彦(ながすねひこ)の兵士たちはあまりの眩(まぶ)しさに眼を痛め一目散逃げて行ったのです。 一人残った長髄彦(ながすねひこ)に娘婿(むすめむこ)の饒速日(にぎはやひ)は義父の長髄彦(ながすねひこ)に、 磐余彦(いわれびこ)の家来(けらい)になって仕えるように話したですが長髄彦は首を縦(たて)振らなかったので 娘婿(むすめむこ)の饒速日(にぎはやに)に斬り殺されたのです。 饒速日(にぎはやひ)の檜祖父(ひそふ)の瓊瓊杵命(ににぎのみこと)は、 九州の高千穂に天降った邇邇芸命(ににぎのみこと)といとこどうしで、 天照大神(あまてらすおおみかみ)孫なのですが。 瓊瓊杵(ににぎのみこと)は天磐船(あまのいわぶね)に乗って 哮峰(たけがみね)大阪府交野市に天降ったのです。 皇子の饒速日命(にきはやひのみこと)は倭(やまと)の長髄彦 (ながすねひこ)を偵察に行ったのですが。 饒速日(にぎはやひ)は長髄彦に武力を認められて。 娘の登美夜昆売(とみやひめ)と結婚したのです、 すうして二人の間に生まれた。 宇摩志麻遅命(うましまじのにこと)が代々神を祀り、 そうして、飛鳥時代に蘇我馬子(そがのうまこ)滅ぼされた。 物部守屋(もののべのもりや)先祖で、 現在でも東大阪市の石切神社に親子で祀られていると聞いています。 そうして磐余彦(いわれびこ)は紀元前660年 倭(やまと)橿原宮(かしはらのみや)で即位して、 第1代 神武(じんむ)天皇となり日本の国を治めたのです。 |
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