メイン 門真市 都を京に遷した第50代 桓武(かんむ)天皇 | 投稿するにはまずユーザ登録を |
スレッド表示 | 新しいものから | 前のトピック | 次のトピック | 下へ |
投稿者 | スレッド |
---|---|
rsbru | 投稿日時: 2008-6-23 23:02 |
常連 登録日: 2004-10-29 居住地: 投稿: 96 |
都を京に遷した第50代 桓武(かんむ)天皇 第50代 桓武(かんむ)天皇
幼名・山部皇子(やまのべのおうじ) 天平9年(737年)平城京(へいじょうきょう)で誕生 延暦25年(806年)平安京(へいあんきょう)で 没 70歳 父は 天智(てんち)の孫 天皇光仁(こうにん)天皇 母は 高野新笠(たかのしんがさ) 皇后 藤原乙牟漏(ふじわらのおつむろ) 婦人 藤原旅子(ふじわらのたびこ) 山部親王(やまのべしんのう)は781年、父は亡くなった年に弟の早良親王(さわらしんのう)を皇太子にして、45歳で即位して桓武(かんむ)天皇となったのです、 その頃、南都(なんと){奈良}の都には仏教寺(ぶっきょうじ)が多くその勢力は大きく政治に大きな影響を与えてきたので厭(いや)になった天皇は。 都を山城国(やましとのくに){京都府向日市長岡}に遷(うつ)す為の工事の最中、 758年、藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が暗殺されて。 直ぐに犯人が全員捕らわれたそです、 黒幕は大伴家持(おおとものやかもち)と天皇の弟の早良親王(さわらしんのう)も捕まった者の中にいたのです。 早良親王(さわらしんのう)は無罪を主張したのですが、 聞き入れて貰えず流罪(るざい)となり淡路島におくられる途中亡くなったのです。 そうして8年過ぎても長岡京が完成しなのは早良親王(さわらしんのう)怨霊(おんりょう)の祟(たた)りだと云う噂(うわさ)になり都を山背国(やましろのくに)に移したのです。 797年この頃、東北地方の豪族(ごうぞく)蝦夷(えみし)は朝廷(ちょうて)に抵抗(ていこう)してきたので、 坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)を征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命して3度目の陸奥国(むつのくに)攻撃をさせたのです。 田村麻呂(たむらまろ)は4年後に蝦夷(えみし)の拠点(きょてん)胆沢(いさわ)を平定し胆沢に城を築き朝廷に従わせたのです。 天皇は外交の為に遣唐使(けんとうし)を派遣することになり最澄(さいちょう)と空海(くうかい)に仏教を学ばす為に中国へ修行 に行かせたのですが二人は別々の船で中国に着いたのです。 帰ってきた二人に、 天皇は最澄(さいちょう)に天台宗を認め滋賀の比叡山(ひえいざん)を与え、 空海(くうかい)には高野山を与えたのですが。 南都(なんと){奈良}の仏教寺の坊さん達が最澄(さいちょう)に猛反発しのです。 |
スレッド表示 | 新しいものから | 前のトピック | 次のトピック | |
投稿するにはまずユーザ登録を | |