メイン 門真市 安寿姫(あんじゅひめ)と厨子王(ずしおう) | 投稿するにはまずユーザ登録を |
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kawati | 投稿日時: 2010-11-22 14:52 |
準常連 登録日: 2008-10-26 居住地: 投稿: 12 |
安寿姫(あんじゅひめ)と厨子王(ずしおう) 平安時代、
第50代 桓武(かんむ)天皇の子孫で陸奥(むつ)の国で活躍した平将門(たいらのまさかど)の流れをくむ。 陸奥国五六郡の太守(たいしゅ)をしていた岩城判官正氏(いわきはんがんただうじ)が、 陰謀(いんぼう)の為に、永保(えいほう)元年(がんねん)、 筑紫(つくし)の国へ流罪(るざい)されたので。 正氏(ただうじ)の子供、 14歳の安寿姫(あんじゅひめ)と12歳の厨子王(ずしおう)そうして母の三人が筑紫(つくし)の国へ父に逢う為に旅だったのですが。 途中、越後(えちご)の浜辺に着いた時に人買(ひとかい)にだまされ、 母は佐渡(さど)へ売られ、 安寿姫(あんじゅひめ)と厨子王(ずしおう)は、 丹後・たんご(京都府)の由良(ゆら)で山椒太夫(さんしょうだゅう)に買われて。 安寿姫(あんじゅひめ)は毎日、浜辺(はまべ)の海の水を汲んでは桶(おけ)に入れて重い海水を肩でかついで運んでいたのです、 そうして、厨子王(ずしおう)は山で薪(たきぎ)を切っていたのです。 二人は毎日、奴隷(どれい)のように厳しい仕事をさせられていたのですが。 ある日、姉の安寿姫(あんじゅひめ)は弟の厨子王(ずしおう)を逃がしので、 山椒太夫(さんしょうだゅう)に厳しい拷問(ごうもん)を受けたために死んでしまったのです。 厨子王(ずしおう)は追っ手を逃れてお寺に助けられ、やがて京の都(みやこ)に着き、 そうして藤原公季に仕え、名を平政隆(たいらのまさたか)改め。 父の無実も解け国守(こくしゅ)となって憎い山椒太夫(さんしょうだゅう)を殺し姉の仇を討ち、 こいしい母を訪ねて佐渡に行ったのです、 厨子王(ずしおう)が母に逢った時、母もながい苦しみから盲目になり筵(むしろ)に座り、筵の上の稲穂を食べている雀を、 子供の名を呼びながら雀を追うていたのです。 その後、親子は幸せに暮らしたのです。 |
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